2016年03月13日

究極のゆとり世代

今年二十歳になり、先日専門学校を卒業していった学生が自分達のことを、
「究極のゆとり世代。」と称していました。
小学校入学からゆとり教育が始まり、中学卒業まで続いていたとのこと。
それでなのかどうか分からないけれど、資格試験の対策授業は思いの他難航しました。
全体に伝えた説明がなかなか一度では伝わらない。
というか、理解しようという姿勢が少ない。
自分のところへ来て自分だけのために説明してくれるのを待っている学生が全体の2割はいるのでした。
そして、勉強以外の事柄についても、社会人としての基本的マナーや、人としてという道徳的な話をすると
「うざい。」という一言。または、迷惑そうな表情。なにか心が伝わりにくい、信頼関係を築くのに時間がかかる学生達でした。
やっと卒業式当日は、素直な表情が見えて、人の話を聞く耳を持てたようでしたが、、、。

卒業式の後、クラスで携帯電話のラインでグループを作っているということで、私も仲間に入れてもらいました。
ラインの中には、私の知らなかった学生達の心のつながりがあり、クラスメイトへの感謝の言葉が溢れていました。そして、色々と心配の多かった数名の学生から、長文のお礼の言葉が送られてきました。
「あのとき学校を辞めなくて本当によかった。親身になって話を聞いてくれてありがとう。」
「出来の悪い自分に何度も丁寧に指導してくださり、感謝しています。先生、体に気をつけてこれからも頑張ってください。」
「休みがちで、退学寸前の私をかばってくれてありがとう。卒業式では、先生と話をすると涙が止まらなくなりそうで、言えませんでした。一つのことを最後までやり遂げることができ、親を安心させてあげられ、うれしいです。またこれからも頑張ります。」
などなど、意外な一面を見ることができました。

現代の若者達はこうして人間関係を作っているのかと、知り、心の中の一部分を見せるのはこういう手段なのかと、改めて思いました。それで人と、面と向かってのコミュニケーションは苦手なのでしょう。
生きた時代が違えば、感性も違い、コミュニケーションのとり方も違ってくる。私達が深夜放送で、孤独感や受験勉強のつらさや、様々な青春の悩みを共感していたように、今の若者も別の手段で心のよりどころを共有しているのでしょう。
今後若者達と関わっていくには、こちらがそれに合わせるしか心をつなぐ方法はないのかなとも思います。それだけでは、社会人としてはやって行けないということも教えながらですが。
携帯電話をスマートホンに変えてから、そうする必要があったのかなと思って後悔したこともありましたが、若者と付き合っていくには必要不可欠なものなのだと今は思います。
時代について行くのも本当、おばさんは大変だわ。

今年になって、何かいろんなことがスムーズに行かない。生活のリズムを変えなければいけないと感じます。
スピードを求められると体がついていかない。何事も早めに準備しておかないと、体調を崩してしまう。
もっと睡眠をしっかりとり、食事にも気をつけて、健康管理をしないと。これまでできていたことがだんだん面倒臭くなってくる。時間に余裕が必要。

もう年だから、という思いと、まだ若い人と張り合いたい、同等でありたいと思う気持ちが交錯している。
大人らしく、心にも本当の意味でのゆとりを持ちたい。
posted by 佐恵子 at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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