2006年12月28日

いつか夜の雨が 16

今夜の雨は、雪に変わりそうな霙まじり。
一人でしっかりと歩けるようになりたいと、今日まで頑張ってきた。年末まで多くのお客様に支持していただき、嵐のように忙しい日々だった。「あなたにしていただかなければ。」と言われることが何より嬉しい言葉だった。

けれど休日になると、抜け殻状態で何も手に付かない。自分のやりたいことをやりたいようにしてきて、気付けば孤独なわたし。
これでよかったのだろうか、いや、こうしたかったのだから仕方ない。

今日で今年も仕事納め。若いスタッフ達は皆で町へくりだして行った。私は一人誰もいない店で、ぼんやりと過ごしていた。
なんとなく一人を楽しみたかった。

「こんばんわ。」以前同じ店で働いていた、洋子だった。実家が美容室の彼女は、今は母親の店に戻り結婚もしている。
「まあ、驚いた。久しぶりね。年末に家を開けたりして大丈夫なの。」と私が言うと
「由起子がたぶん一人でぼんやりしているんじゃあないかと思ってね、来て見たらやっぱりね。今夜は夫が忘年会で留守だから久しぶりに会いたくなったのよ。こんなところで淋しそうにしてないで、どこかおいしい物でも食べに行きましょう。」以前よりも余裕のある幸せそうな洋子は、明るくて眩しかった。
「なんだか、出かける気分じゃなくて、静かなこの場所がいいんだ。」腰を上げようとしない私を見て、洋子は
「そうか、それじゃあここで二人で忘年会をしよう。ワインでも買ってくるかな。」ということになって、結局二人で買出しに出かけてスーパーのお惣菜や、おすしや、ワインを買い込んでまた店に戻った。

「洋子は幸せそうね。仕事と家庭と両方あって、ちょっと羨ましいな。」ぽつんと本音が出てしまう。
「実の親と働いたり、暮らしたりするのも、結構大変なんだよ。遠慮がないだけにお互い言い過ぎてしまってね。」
「そうか、良いことばっかりでもないのか。私、仕事々と意気込んでいたら、結局一人になってしまったよ。こんな女、かわいくないものね。」
「ううん、由起子は可愛い女だよ。心を込めて接客できる、素直な優しさがあるじゃない。これまでは頑張ってやってきたからこれからは自分の弱みを見せれる人を見つけて、少し楽になりなさい。きっと、由起子のことを分かってくれて、受け止めてくれる人がいるはずよ。今度はしっかりつかまえなさい。」
以前は同じ店でライバルだった洋子に今はとても慰められていた。
洋子は美容室の常連の男性客と親しくなり、随分周りから冷たくされたり、いじわるもされた。
それでも、「私が好きになった人だから。絶対に一緒になりたいんだ。」と私に言って、店を辞めて結婚してしまった。
いつもなんとなく引き気味の私から見れば、羨ましい行動力だった。

ふと外に目をやると、やはり雪になっていた。今夜は積もりそうだ。
洋子との再会は、同業者でなければ通じ合えない話で盛り上がり、明け方まで語り明かした。
実らなかった恋の傷は、仕事に熱中することで癒えたのかもしれない。やっと、社会という舞台に上がることができた私はこれまでよりは少し自信を持って男の人にも接することができるような気がしている。

来年は晴れた日に、素敵な人に会えますように。 終わり
posted by 佐恵子 at 13:51| Comment(2) | TrackBack(0) | いつか夜の雨が | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月19日

(久々に) いつか夜の雨が 15

今夜はあの日のように、どしゃぶり。
本店から隣町の支店の店長を任せられて、もうすぐ2年。
5人のスタッフから信頼されるようになって、なんとか去年の売り上げを上回ることができそうだ。
店が終わって一人で今日の売り上げを計算していると、ばしゃばしゃと雨の音が聞こえて、ふと3年半前のことを思い出す。
二人の男の間で揺れ動いていた私。
あの頃私が揺れていたのは、二人の男性の間ではなく、中途半端な自分自身の心にだったのだと、今になって気付いている。

もっと自立したかった、一人の人間として。自分に自信が持てるようになりたかった。
誰か男の人に頼ったり、甘えたりしていないと生きていられないような自分が嫌いだった。

孝則には手紙を書いた。

さようなら。
これまで支えてくれてありがとう。
私はあなたに何もしてあげられなくて、本当にごめんなさい。
これからしばらく一人で頑張ってみます。
本物の美容師として、沢山のお客様に認めていただけるように。
そして、自立した大人の女性になります。
いつかどこかで会えたら、元気にあいさつできるようにやってみるから、
あなたもお仕事頑張って下さいね。

最後まで優しくしてくれてうれしかった。
あなたがいてくれたから、ここまでこれたことはいつまでも忘れません。
思い出をありがとう。
お互い、幸せになろうね。 さようなら。

孝則からは、返事は来なかったけれど、その方がきっぱりとさよならできてよかったように思えた。
それだけ私から心が離れてしまったということなのだろう。

正剛とは仕事帰りに一度だけ会った。
「俺と本気で付き合ってくれよ。」と言われたけれど、私にはあの日、離婚したという女の人と一つの傘の中にいた正剛が本当の彼に思えてならなかった。正剛は今でもその人を気にかけている。そして多分まだ愛している。
あの日、傘の中の二人を見て、ひと目でそう感じてしまった。
二人の間に割り込んでまで、正剛を愛する勇気もなかった。

私にはもっと自分のためにしなければならないことがあったのだ。
posted by 佐恵子 at 23:09| Comment(2) | TrackBack(0) | いつか夜の雨が | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月16日

いつか夜の雨が 14

目覚めると、のどの奥が痛い。体がだるい。熱があるのかもしれない。でも、今日は私の指名客二人からの予約を受けている。仕事を休むわけにはいかない。熱を測るのは止めて、とりあえず風邪薬を飲んで出かけた。

午前中は澤田様のパーマとセット。澤田様はお花の先生で、いつも和服で来店される。2ヶ月前に結婚して店を辞めた先輩の指名客だった。私はそれまで澤田様のシャンプーをさせていただいていた。
「いつも丁寧にしていただいているから、これからはあなたにお願いするわ。」と言われたときは、ほんとうに嬉しかった。他の先輩達を差し置いてお店の大切なお客様の仕事をさせていただくことは、自分の励みになった。セミロングのやわらかい髪にゆるやかな、でもしっかりとしたウェーブをつけ、ローラーでオリジナルセッティングをし、ロールのアップスタイルに仕上げていく。朝から熱っぽかったことなどどこかへ飛んで行ってしまい仕事に熱中していた。
午後は「カサブランカ」という店のママのカラーとセットの仕事をした。大勢の女の子を使っているママは、面倒見のよい姉御肌の人で、私をここまで育ててくれた。アシスタントの頃から、何かと厳しいアドバイスをされたお陰で色々と勉強するようになった。
「朝ごはん食べてこないから、シャンプーに力が入ってないでしょ。」とか、アップスタイルのあみカーラーを巻く時も、鏡越しに一本々チェックが入って、「そこは後ろに流すんだから、もっと斜めに巻かなければだめよ。」と。
ママの厳しさは意地悪さではなく、大らかな優しさと分かっていたから同じ注意を受けないように、仕事が終わってから何度も練習したものだった。
ママは私がするカラーを気に入ってくれている。「由起子は難しい色もちゃんと表現してくれるから、他の人には頼めないね。」と言われ、セットにも入らせてもらえるようになった。50代半ばのママのロングヘアーには、この頃白いものが増えはじめおしゃれな色合いを出しながら、白髪も染めなければならないのでとても神経を使う。
ママをお送りして、気がつくと5時になっていた。休憩室でお茶を飲んでいると、急に背中がぞくぞくとして寒気がしてきた。
「やっぱり昨日雨に濡れたのがいけなかった。熱が上がってきたみたいだ。」と思い、上着をはおった。

「由起子さん、電話よ。佐伯という男の人。」フロント係の智恵美が呼びにきた。
「もしもし、正剛?」
「ああ、昨日は何かあったのか。どしゃぶりの中、駆け出して行ったから心配したよ。俺と一緒にいたのは別れた妻なんだ。相談があるというので、会ってたんだよ。由起子、今日仕事の後で会えないかな。駅前で待っているよ。」と言う。
私は「なんだか熱っぽくて、今日は真っ直ぐ家へ帰りたいの。」正剛の返事を聞かないまま、電話を置いた。
今日は一人でいたかった。つらくなるといつも誰か男の人に寄りかかりたくなる自分が情けなかった。同時に、昨日あんなに泣いて雨に打たれたのに、ちゃんと仕事ができる自分も不思議だった。

熱が上がったからと、早めに店を出させてもらい家へ帰った。ベットに入っても、節々が痛くて、全身がだるい。体はほてっていて、頭の中はぼやけている。ぼやけた頭の中に孝則と正剛の二人のことが表れては消えた。
posted by 佐恵子 at 09:07| Comment(0) | TrackBack(0) | いつか夜の雨が | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月02日

いつか夜の雨が 13

広島駅から在来線に乗り換え、いつもの駅に降り立つとまた、ポツポツと雨が落ちてきた。大雨にはならないだろうと思い歩き始めると、しばらくしてピカッと空が光り、ゴロゴロという音と共に大粒の雨が降り始めた。
雨に濡れながら歩いていると、電車の中ではこらえていた思いがあふれてきて、わけの分からない涙が頬をつたった。
「孝則を愛していたはずなのに。仕事なんて捨ててしまえばよかった。どうして「終わりにしたくないの。」と言えなかったんだろう。私の愛は自己愛でしかなかったのか。孝則にとっての私はなんだったんだろう。」
情けない思いで胸がつぶれそうになり、雨なのか、涙なのかわからないまま濡れながら歩き続けていた。誰かにすがって泣きたかった。
そして目の前で客を降ろしたタクシーを見て、とっさにその車に乗り込んでしまった。正剛に会いたくなった。
梅雨の終わりなのか、雷がゴロゴロと音を立て雨は激しく降り続いていた。
正剛のアパートの前でタクシーを降りた。
「正剛なら、きっと今の私を受け入れてくれる。きっと泣きたいだけ泣かしてくれる。」そう思えた。
しかし、アパートのチャイムに答える人はいなくて、部屋はひっそりと静まり返っていた。日曜日の夕方、出かけていてあたりまえだ。
少しだけ待ってみようと思った。どうしても今、正剛に会いたかった。
20分、30分待っても彼は帰っては来なかった。濡れた体は冷え切って、心も冷たく震えていた。
1時間近くたち空はどんどん暗くなり「もう帰ろうか」と思ったとき、正剛の黒い車が雨の中に見えた。
アパートの駐車場の方へ駆けて行くと、正剛は髪の長い美しい女性と二人で車から降りたところだった。二人で一つの傘に入った時、ずぶ濡れの私に気がついた。
「由起子、どうしたんだ。」不思議そうな顔でそう言う彼に私は
「なんでもないの。なんでも、、、。」それだけ言って駆け出した。雨に打たれながら、自分の浅はかさが身にしみた。
「孝則とうまくいかなくなって、正剛に慰めてもらおうなんて、そんな調子よく行くわけない。ばかな私。こんなだから誰からも愛されない、愛せない。だめな私。だめな女。」
雨はずっと降り続いていた。でも今は雨に打たれて歩き続けたかった。
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2006年08月27日

いつか夜の雨が 12

私はどうしてしまったのだろうか。あの日から、私でなくなってしまった。
孝則を裏切ってしまった。正剛と会ったあの夜から、なぜか孝則のことばかり考えている。
なんとかしなければ、今のままでは自分を失くしてしまいそうで怖い。やっぱり孝則に会おう。会って、どうするのか、何を言えばいいのかわからないけれど、でも会わなければいけないと思った。

次の休みに、連絡もせずに私は福岡の孝則のアパートを訪ねた。
「ごめん、来てしまった。連絡もしなくて、ごめんね。」孝則の顔を真っ直ぐ見ることができない。
「俺こそ、由起子に何も知らせなくて悪かった。ちらかっているけど、上がれよ。」彼はいつもと変わらない穏やかな口調で言った。
日曜の朝は眠そうな、けだるそうな彼だったけれど、サイフォンを使って香り高いコーヒーをたててくれた。
「この前言いそびれたけれど、俺また転勤になりそうなんだよ。と言うか、新製品のカラー剤を売り込むために、あちこちに行かされそうだよ。由起子とはこれまで以上に会えなくなるだろう。でも、今はこの新製品を紹介することに全精力を傾けたいんだ。髪へのダメージを免れなかったカラー剤の、革命になるかもしれないような商品なんだ。」
「すごく仕事に燃えているのね。」と私が言い、ひとくちコーヒーを飲んだとき、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。
「たかのりー、起きてるー。」女の声だった。
ドアを開けた彼は、外で彼女と何かしゃべっているようだ。彼の片付いた部屋を改めて見回しながら、
「きれいにしてくれる人がいるのかもしれない。もう、孝則と私の接点がなくなってしまったのかも。彼の仕事の話は嘘ではないけれど、私を傷つけないように別れるための言い訳なのかもしれない。彼の新しい生活の中に私は必要なくなったにちがいない。」
そんな思いが、頭の中を駆け巡り始めた。
「職場の女の子、忘れ物を届けに来てくれたんだ。」書類の袋を見せながら彼はそう言ったけれど、
「私ここに来て良かったのかな。本当のことを言ってね、大丈夫だから。他に好きな人、大切な人できたんでしょう。今の彼女かどうかはわからないけれど、もう、孝則の生活に私は必要なくなっているんでしょう。私を傷つけないようにと気を使わなくってもいいのよ。女の勘でわかるのよ。」
私は見覚えのない花柄のコーヒーカップを見つめながら、静かに彼に告げた。
「来てくれてうれしかったよ。でも、今日もこれから仕事なんだ。これから先、由起子との時間をつくることができなくなりそうだよ。仕事を頑張っている君に、「俺についてきて欲しい」とは言えなくて、、、。好きな人、大切な人はいないけれど、身の回りのことをやりたがるおせっかいな人がいて、ときどき掃除なんかしてもらったりしている。」
「そうね、離れてしまったら、心も遠ざかってしまったのね。私も寂しくて、他の男の人とご飯食べたりしたもの。でも、本当は
「今の生活を捨てて俺のとこへ来て欲しい」と言ってほしかった。 私達もう終わりなのね。」
「由起子に美容の仕事を辞めさせてまで、俺について来させることは考えられなかったよ。」
「私美容の講習会の日程は、孝則と会うことよりも優先させてきたものね。孝則がもう一日泊まれと言っても、いつも帰っていたものね。仕事が大事だった。自分が大切だった。私自身のために、孝則が必要だったのね。」
「由起子のことは今でも好きなんだ。ただ、日常の安らぎがほしくなった。弱いんだよ、俺。」彼の弱さを受け止めることが、私にはできなかったんだと思う。
「仕事頑張ってね。コーヒーおいしかった。」もう、何も話したくなかった。自分優先、仕事優先の私がとても嫌な女に思えたから。
「由起子、体こわすほど頑張るなよ。来てくれてありがとう。」
孝則は最後まで優しくて、その優しさが今日は残酷に思えた。
posted by 佐恵子 at 01:46| Comment(5) | TrackBack(0) | いつか夜の雨が | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月09日

いつか夜の雨が 11

「今日こそは何か孝則に言わなければ、もうこのまま私達自然消滅してしまうかもしれない。」そんな不安にかられて、仕事帰りに駅の公衆電話から電話をかけた。何度コールしても通じない。また、今日もどこかへ出かけているのか。もしかしたら、誰かと一緒に楽しい時間を過ごしているのかもしれない。孝則の本心が分からない。
また、シトシトと雨が降り始めた。

うつむきかげんで、傘もささずに歩いていると、
「生きてたか。」正剛だった。その笑顔を見ると訳もなく涙が出そうになる。
「なんとかね。少し入院したりしてたけれど。」強がって言ってみた。
「どうりで、駅で待っていても会えなかったはずだ。やっぱり夏風邪じゃあなかったんだな。」
「ええ、腎盂炎という病気だったの。お見舞いに来てくれるかと待っていたのに。」とわざとふくれて言うと、
「由起子の家の人に聞くのも、なんだか変だろ。他に恋人がいると言っていたし。心配していたんだよ。もしかしたら、彼のところに行ってしまったのかと思っていたよ。」意外と真面目な答えが返ってきた。
「元気になったからまた美容室で働いてるわよ。好きな仕事だから、辞められないのよ。」
「そうか、よかった。今日は、快気祝いでどうだい。俺の火傷も治ったことだし、寿司行こうよ、寿司。」
「もう、絆創膏も取れたのね。きれいに治ってよかったね。また、寿司に引っかかるかな。」
「ああ、引っかかれ、引っかかれ。」
軽妙な会話が楽しくて、また正剛の車に乗ってしまった。自分の軽薄さにあきれながら、それでも正剛といるといやなことも忘れられた。
二人でお寿司を食べるだけ食べた。
「由起子がいなくならなくて本当によかった。元気になってよかった。今日会えなかったら、美容室へ行ってみようかと思っていたよ。」
正剛のまっすぐな言葉に癒されている自分を感じる。

帰りの車は、家とは別の方向へ向かっていた。
「夜の海を見に行こうよ。」と正剛が言う。私は黙ってうなずいた。
松林の中で車を止めて、砂浜を歩いた。自然に手をつないでいた。
「今夜だけ、恋人でいてくれないか。今夜だけでいいんだ。でも、できればずっと恋人になりたいけれど。由起子はまだ、福岡にいると言っていた彼のことが好きなんだろうな。俺と付き合ってくれるなら、俺がそいつと話しをつけてもいいんだけど。」つないだ手を強く握りしめながら、そう言った。
「今は自分の気持ちが分からないの。でも、今夜だけなら、、、」言い終わらないうちに唇をふさがれていた。
熱く、長い長い、くちづけをした。正剛の腰にまわした腕の力がとても強くて息苦しかったけれど、こんなにしっかりと抱きしめられたことがあっただろうかと、気が遠くなるような陶酔した気分に浸った。
私はその夜、正剛の恋人になった。「今夜だけ」と自分に言い訳をして。
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2006年08月08日

いつか夜の雨が 10

その日は二人でとなり町のホテルに泊まった。
孝則の腕の中はいつもと変わらず温かくて、私の一番安心できる場所に思えた。
「淋しくて、淋しくて、悲しくて、毎日泣いていたんだから。毎日電話してもアパートにいないし、不安で死にそうだったんだよ。」
彼の腕の中で、やっと本当の気持ちが素直に言えた。彼は黙って私の頭をなでてくれた。少女に戻っていくような、甘えた気分が安らぎだった。

私は翌日から仕事に戻った。店にでるのは20日ぶりだった。スタッフもお客も皆一様に、「元気になってよかったね。」と温かい言葉で迎えてくれた。
その日は金曜日だったので、夕方からOLのお客が多くなり、相変わらずの忙しさになった。鋏を握り、コームを動かし、ロッドを巻き、ドライヤーをかけているうちに、いつの間にか頭の中がからっぽになる。次は々と、仕事の段取りと仕上げのデザインのことでいっぱいになっていく。鏡に映る自分の顔、お客様と共に笑顔になって輝いている。
この仕事の魅力は、私にしかできないオリジナルの表現。美しくなった人の、満足げな笑顔に出会えること。それに取り付かれてしまったから、辞めれるわけがない。苦労してやっとここまで来たんだもの。
でも、孝則を失うのは悲しかった。彼にどう返事をしていいのか思いつかない。私にとっては仕事も孝則も大切なんだ。
これまで何度も挫折しかかった私を彼は優しく励ましてくれた。
「もう少しだよ。きっともう少しでできるようになるから、あと一回々と積み重ねていくんだ。」と。
今度は私が彼の力になってあげなければ。「支えて欲しい。」という言葉が孝則の口から出ると言うことは、きっとなにか仕事で追いつめられた状態なのだろう。

なんの返事もできないで、時間だけがどんどん過ぎていった。お互いに2週間、なんとなく連絡をとらなかった。


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2006年08月02日

いつか夜の雨が 9

退院の日は、久しぶりの晴天で、夏の気配のする青空に思わずめまいがするような、私にはまぶしすぎる朝だった。
結局、孝則とは連絡がとれないままで、もう電話することさえ怖かった。前に会ったときも彼はいつもと変わらず、優しく私の話に耳を傾け、慰めたり、励ましたりしてくれた。冷たいそぶりなどみじんも感じられなかったのに。
「福岡に良い人ができて、私と別れたがっている。」
今はそうとしか思えなかった。

迎えにきてくれた母と病院の前でタクシーを待っていると、私達の前を正剛らしき男性が通り過ぎた。右手の包帯は大き目の絆創膏に変わっていた。彼は私達には気付かず、受付の方に向かって行った。正剛の背中がなんとなく淋しそうに見えて、声をかけたかったけれど、タクシーが来てしまった。
それから、私の頭の中を正剛のことばかりがよぎった。
「私が入院していたことを知っていたら、お見舞いに来てくれただろうか。いつものジョークで笑わせて、元気付けてくれていたかもしれない。そしてまた食事に誘ってくれるかもしれない。」
遠くの恋人と会えなかったり、連絡が取れなかったりするときだけ、正剛のことを思う自分にあきれて、会いに行ってはいけない気がした。

それから2日後、孝則から葉書が来た。「元気になったかい。今度の日曜日に広島へ帰ります。10時に駅前の檸檬で待ってます。」
用件だけの短い文面には、感情のこもった表現はなにもなく私の予感が当たっていたことを確信させられた。
日曜日はまた雨降りだった。「今日でさよならなのかもしれない。」と思いながら、それでも念入りに化粧をし、お気に入りの花柄の傘で出かけた。
檸檬の扉を開けると、孝則は先に来て、コーヒーを飲んでいた。
「お帰りなさい。」
「ああ、ただいま。お見舞いに行けなくてほんとにごめんな。でも元気になってよかったね。病み上がりに呼び出して悪かったな。」
「いいえ、孝則に会いたかったから。入院している間中、あなたのこと考えていたの。声が聞けなくて、淋しかった。」
「俺も由起子とのことを考えていたよ。本当は、この前帰った時に話そうと思っていたんだ。」
「もう、月に一度だけ会うという、私達のお付き合いは無理なのかな。恋人同士という実感がないのかな。私は孝則に愚痴ばかり言って、前みたいに何もしてあげられないし。傍にいて欲しいときにいられないのはつらいよね、お互いに。」
彼が何も言い出さないので、私から問いかけてみた。
「由起子、もう俺なんかいなくても大丈夫そうに思えるんだよ。仕事の話をしているときの君は、愚痴っていても楽しそうに見えるんだ。
これから先はもっと美容の仕事にのめりこんでいくんだろうな。辞めて福岡へ来てくれと言っても、今の由起子には無理だろう。病気をしてもまた元気になったら、仕事に戻るだろう。美容室で働く由起子は輝いていて、とても好きだった。まだ、自信なげなおどおどしたところが気になってしかたなかった。由起子の支えになりたいと思った。でも今は、俺が誰かに支えてもらいたい気持ちなんだよ。
自分のことで精一杯なんだ。由紀子、俺の所へ来てくれないか、ダメかな。今のままじゃ、俺たち持たないと思うんだよ。」
「そうだったの。私てっきり嫌われたのかと思っていた。今すぐに返事できなくてもいいかな。少し考えて返事させてね。
私、一人ではやっぱり大丈夫じゃないよ。入院している間も淋しくて、夜になると涙が出てたんだから。私、孝則の支えになれるのかな。なりたいな。」
そんなことを言いながら、今の店を辞めることなどできるはずはないと、自分の本心は分かっていた。



今日から4日間、宮崎で研修です。いってきまーす。

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2006年07月26日

いつか夜の雨が 8

3階の病室の窓からは、降り続く雨しか見えなくて、夜になると一人湿った暗い世界においてきぼりにされたようなやりきれない孤独感に襲われた。

5日目には入院した時39.5度あった熱も平熱に下がり、随分楽になった。点滴を続けながら、まだふらつく体だったけれど孝則の声が聞きたくて、夜を待って電話をかけた。
「あなたに会った次の日、入院したの。腎盂炎という病気だったの。しばらくかかりそうよ。」と言うと、
「そうだったのか。大変だったね。しっかり直すんだよ。お見舞いに行きたいけれど、また帰れるかどうか、、、。」
意外と落ち着いた声で彼はそう言った。
「私は大丈夫。時々電話するかもしれないけど、いいかな。」
「ああ、本当は少し話たいこともあるんだ。また、時間を作って帰るから。お見舞いに行けなくてごめんな。」と言う。
「いいの、時々声が聞ければそれだけでいいの。仕事頑張ってね。」涙をこらえてそう言った。
孝則のことだから、なんとか無理してでも帰ってきてくれると思い込んでいたので、悲しかった。

次の日同僚の洋子が見舞いに来てくれた。
「思ったよりは顔色いいね。由起子頑張り屋だからいろんな疲れが出たのね。ゆっくり休んで、また一緒に仕事しようね。」と励ましてくれた。
「仕事のことなんか、もうどうなってもいいと思っていたけれど、熱や痛みが良くなったらまた働きたくなったよ。」作り笑顔でそう言うと、
「由起子の指名客は、私がちゃんと面倒見とくからね。」そんな言葉を残して、洋子は帰っていった。
「早く元気にならなければ、洋子にお客をとられてしまう。」そう思うと少しファイトが湧いてきた。

時々孝則に電話をしてみたけれど、タイミングが悪いのか、いつも留守で声を聞くことができなかった。
「少し話したいことがある。」と言っていた彼の言葉が気がかりだった。

2週間の入院は一日々がとても長く感じられて、何かで気持ちを紛らわそうとするのだけれど、本を読んでも、同じ病室の人と話しをしても、落ち込んだ気持ちは変わりようもなく、体よりは心の元気がなくなっていった。




posted by 佐恵子 at 17:18| Comment(6) | TrackBack(0) | いつか夜の雨が | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月09日

いつか夜の雨が 7

翌日は日曜日で大安だったから、結婚式に出かける人の予約があり、一日中店は立て込んでいた。
帰りの電車に乗るともう、ボロボロに疲れていて、倒れこみたいような気持ちだった。足が人の足のように重く感じられた。
次の日の月曜日は、店の定休日だったので病院へ行くつもりだったけど、朝8時頃孝則から電話で
「帰ってきたから、会おうよ。」と言ってきた。仕事で明日、大阪へ行くことがあり今日は一日休みが取れたと言う。
私はとても出かけられそうもなかったから、
「会いたいけど、体調が悪くて出かけられそうもないの。家へ来てくれない。」
と言いながら淋しさと、彼に会える嬉しさで涙声になった。
「そうか。わかったよ。疲れがたまっていたのかな。元気出すんだよ。」といつもの優しい声に、また泣けてきた。
孝則が家へ来たのはこれが3回目だった。私の両親にもきちんと挨拶し、一度は家族で食事をしたこともあり、好感を持たれていた。
「風邪をこじらせたみたいで、夕方になると微熱が出たりして体がだるいの。指名のお客様を洋子に取られてしまった。とてもめげていたから、孝則に会いたかった。」と顔を見るなり甘えたことばかり言っていた。
彼は私の愚痴っぽい話を黙って辛抱強く聞いてくれた。彼に寄りかかっているだけで、心が潤い、充たされて具合の悪さもどこかに飛んでいくような気持ちになった。こんな優しい彼がいるのに、ほかの人とご飯食べに行ったりした自分が後ろめたかった。
「お夕飯食べて帰ってよ。」と言う母の言葉を丁寧に断って、
「明日早いから。元気になれば仕事はいくらでもできるから焦るなよ。また、福岡へ来てくれよ。」と言って帰って行った。

孝則には、これまで何度もくじけそうになる私を慰めたり励ましたりされた。なんとかスタイリストとして一人前になれたのは彼の支えがあったからだと思う。
「初めからできる人はいないよ。」と言うのが彼の口癖だった。
私はもともと特別手先が器用な方ではなかったので、新しいことを覚えるのも大抵ほかの人よりは出遅れることが多かった。
繰り返し練習することが、皆についていく精一杯の方法だった。休日も店を貸してもらい、一人で何体ものウィッグをカットしたり、友だちや家族を呼んでヘアカラーの練習のモデルになってもらったり、アップスタイルの講習会にもできるかぎり出かけたものだった。そんなとき、様子を見に立ち寄ってくれたのは材料の営業をしている孝則だった。
「美容の練習や、仕事をしているときが由起子は一番良い顔しているよ。」彼にそう言われるとファイトが湧いてくるのだった。

その日の明け方、激しい腰の痛みと寒気で目が覚めた。
私は救急車で病院へ運ばれた。検査の結果、急性腎盂炎という病気ということだった。2週間の入院になった。

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いつか夜の雨が 6

夏風邪は治ったはずだった。なのに、体が重い。熱を測ってみると37.3度。夕方になると毎日微熱が出る。
仕事が終わると、体を引きずるように家にたどり着く。今日は腰痛もあり、全身がだるい。
こんな状態では仕事もうまくいかなくて、カットのとき鋏で指を切ったり、アップスタイルもきまらない。パーマの薬の選定を間違え、きれいなウエーブが出ない。「由起子どうかしたの。」と同僚の洋子に聞かれたけれど、返す言葉が見つからなかった。
慰めてもらいたくて、福岡にいる恋人、山村孝則に電話した。10時過ぎているのに、まだ帰っていない。携帯電話もない頃だから、声が聞けない。仕事がらみの飲み会なのだろうか。
また仕事を休んで病院へ行ってみようか。でも明日はセットの予約を受けているから、休むわけにはいかない。
深夜になって、激しく雨が降り始めた。雨音を聞きながら、「こんな時正剛に会えたら、少し元気が出るのかな。」と勝手なことを思いながら眠りについた。

夢の中で、正剛は誰かとお風呂に入っていた。髪の長いしなやかな体つきの女性は、正剛の背中を丁寧に洗っている。
二人の背中が白くぼんやりと見えて、私はなぜか焦っている。正剛がふと女の方を向き、口づけをする。でもその瞳は私の方を見ているような気がして、「早くここから立ち去らなければ。」と思うのに、足が動かない。正剛とその女は体を絡ませて愛しあっている。正剛の右手の包帯が赤くにじんで、女の背中もにじむ。

寝汗をかいて目を覚ますと4時だった。なんておかしな夢なんだろう。
パジャマを着替えながら、どうしようもない孤独感に襲われる。
「病気になって、恋人にも去られ、仕事もできなくなってしまったらどうしよう。なにもかも失ったら、、、。」
夜明け前、一人ベッドの上で縮こまり、朝を待った。
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2006年07月03日

いつか夜の雨が 5

どうしてなのか分からないけど、恋でも仕事でもいつの間にかのめりこんでしまう。
好きなことには、のめり込みすぎて気付かないうちに体をこわしたり、相手に重荷な存在になってしまったりする。私の悪い性格。

今度の夏風邪はなかなかしつこくて、いつまでも微熱が続き、胃腸の調子が悪い。私は始めて仕事を3日続けて休んだ。やっと少し食べれるようになって店に出ると、同僚の洋子が、
「山野様、昨日パーマに来られて、由起子が休みと言ったんだけど、明日出かけることがあるからと言われるので私がさせてもらったわ。いつもより、少しショートにしたけど気に入ってもらえたみたいよ。」と言う。
山野様は、私を指名してくださるお客で、個人病院の奥様だった。指名制のこの店では、従業員はお客を取り合うこともめずらしくなかった。仕事を休んでしまったのだから、仕方がない。
7名いるスタイリストの中で、私と洋子はまだかけだしで、指名をしてくださるお客様は大切な存在だった。
洋子の家は美容室で、いずれは親のあとを継ぐのだということだ。私とは良きライバルだが、仕事を覚えるのは彼女の方がいつも早く、接客の要領も良かったので指名も私よりは多かった。洋子はいわゆる玄人、スナックや、バーの女の子の客、私は主婦やOLの客に好まれた。
まだ本調子ではない体でなんとか一日の仕事を終えた。
帰りの電車に乗り込むと、どっと疲れがこみ上げてくるようだった。その上、雨まで降り出した。

「よう、元気になったか。」電車を降りて傘を差しとぼとぼ歩いていると、正剛だった。右手の包帯はまだ取れていない。
「車を運転して大丈夫なの。」
「痛みはだいぶなくなったから。乗らないか。今日は寿司なんかどうだい。」
「まだ胃腸が弱ってるから、もりもり食べれそうもないのよ。それに今日久しぶりに仕事したら、とても疲れてしまって。」
「そうか、それじゃあうどんにしよう。うまい店知っているんだ。すぐに送るから、付き合えよ。」と助手席のドアを開けた。
「また、食べ物に引っかかるかな。」と言うと
「引っかかれ、引っかかれ。」と正剛は笑った。この笑顔に私は弱い。

正剛は左手でじょうずに冷やしうどんをすすった。
「左利きをいつ直したの。」
「5歳の頃らしいよ。母親が、学校に入るまでには直さなければと思ったらしい。俺はその頃の食事の時間がとても苦痛だったよ。」
「わんぱく坊主だったんでしょうね、きっと。」
「ああ、今もそれは変わっていないよ。小学生までは、小柄だったけどけんかは強かったな。力で人を押さえつけるいやな子だったよ。」

「ねえ、右手の火傷見てもいい。」と聞いてみた。包帯の下を見たくなった。
「食事がすんだらな。でもどうして、こんな物見たって気持ち悪いだけだよ。変わってるな、由起子は。」
「そう。ひどい火傷なんて見たことないから、好奇心よ、ただの。」

食事が終わると、正剛は包帯をほどいてガーゼをはずし、傷を見せてくれた。右手の甲の半分の皮膚がはがれ赤身が出て、手首まで及んでいた。
「これ、きちんと治るの。」
「時間は少しかかるけれど、再生するらしいよ。気持ち悪くないのか。」
「いいえ。夢中で消火していてこうなったんだから、少し同情するわ。」
「右手が不自由で、一番困ることはなに。」と聞いてみた。
「そうだな、風呂に入って背中が思い切り洗えないことくらいかなあ。今度、流してくれるか、俺の背中。」
「考えておく。」と笑ってごまかしたけれど、少し心が動いていた。

約束通り、食事がすむと正剛はすぐに家まで送ってくれた。約束をちゃんと守ってくれる誠実さに、心を許してしまう。
「ごちそうさま。少し元気になれそうよ。」と、帰り際に言うと、
「本当は、今夜ずっと一緒にいたかったんだよ。本気になりそうだ、由起子のこと。」と、真面目な顔で私を見つめる。
福岡にいる恋人のことが頭をよぎる。離れていると、一番近くにいてほしい時に会えないつらさを正剛でまぎらわそうとしていたのだろうか。
「右手お大事に。おやすみなさい。」混乱した気持ちを隠そうと、うつむきかげんでそう言った。
posted by 佐恵子 at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | いつか夜の雨が | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月25日

いつか夜の雨が 4

福岡から帰ってから、中国地方も梅雨入りし、もう4日も雨が続いていた。
私は昨日から風邪気味で、今朝は熱っぽく食欲もなかった。体温計は37、8を示した。
疲れがたまっていたのかもしれない。仕事中にふーと意識が遠のくことがあった。今日は休んで病院へ行くことにした。
かかりつけの先生がいる総合病院で診察を終え、支払いを待っていると、私の前を白い包帯を腕に巻いた人が通りすぎた。その後姿に見覚えがあり、立ち上がり横顔を見ると正剛だった。
「その手どうしたの。」と思わず声をかけていた。
「おお、びっくりしたなあ。仕事中にちょっとな。由起子はどこか悪いのか。」
「ええ、風邪と少し貧血気味なだけよ。あなたの右手は、火傷なのね。ひどいの。」
「ああ、先週となり町の花火工場で火事があっただろう。そのときの消火活動で、やってしまったのさ。」
「右手だから、不自由ね。」と心配する私に、
「もともとは俺左利きだったから、そうでもないよ。車に乗るなと言われるのが、不便だけど。」
いつもなら、軽快な会話で楽しませてくれる彼だけど、今日はさすがに元気がなく、顔色もさえなかった。
「家まで送っていくわよ。」と言う私に、
「由起子も具合悪いんだろ。早く帰っておとなしくしてろよ。」と言う。それでも、包帯が痛々しくてやっぱり送っていくことにした。
正剛のアパートは意外と私のうちの近くだった。電車なら2駅くらいの距離だろう。車を止めると、
「病人に送らせてしまって、悪かったな。今度又、飯行こう。早く元気になれよ。」と言うと、
左手で私の肩を引き寄せて、ほほにキスした。
「まだ、熱が下がってないな。今日はありがと。」そう言って、素早く車を降りた。
「やっぱり左利きね。お大事に。」最後はいつもの笑顔になった。
止んでいた雨がまた、降り始めた。
posted by 佐恵子 at 01:16| Comment(0) | TrackBack(0) | いつか夜の雨が | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月11日

いつか夜の雨が 3

新幹線に乗ってあの人の町へ向かう時、私はいつもふわふわしている。
今日までの一ヶ月間はとても長く、つらかった様な気がする。でも、今日のために頑張ってきれいに生きられた。
「きれいな笑顔で会いたい。おいしいものを食べさせたい。そして、温めあいたい。」そんなことを考えながら、雲の上を漂っているような、ふわふわした気分に浸る。

「元気だったかい。」駅に迎えに来てくれた彼に「うん、少し太ったかも。」と自分から言ってしまう。
いつものように二人で食料品を沢山買い込み、ビールとワインも買って、彼のアパートへ向かう。
彼がシャワーを使っている間にすき焼きの準備をして、二人で鍋を囲む。
会えなかった一ヶ月の間の出来事をあれもこれも話すつもりだった。彼の話しもいろいろ聞きたかった。
でもいつも、また会いに来れたことだけが嬉しくて、何も言えなくなってしまう。

「こっちへ来てからもうすぐ一年ね。こっちの暮らしにも慣れた。私と離れていることにも慣れてきたでしょ。」
素直に「淋しかったよ。」と言えない私は、そんなふうにしか聞けなくて、かわいい女になれない。
「広島にいるときは由起子にいろいろ面倒かけて、助けてもらっていたことが一人になって身にしみるよ。でもこの頃は少し一人の暮らしにも慣れてきたかな。洗濯もこまめにしているし、部屋も前よりはきれいにしているだろ。」
彼が転勤になるまで私は週末のほとんどを彼のアパートで過ごしていた。私は彼の生活の細々したことをしてあげるのが楽しかった。
「何でも一人で大丈夫になると、私なんか必要なくなりそうで、不安だな。いつまでこんな離ればなれの生活が続くんだろう。」
そう言って、「しまった。」と思う。プロポーズ待ってるみたいで、恥ずかしい。
「こんなのもしばらくは、悪くないさ。由起子は今の仕事に生きがいを感じていると言っていたし、まだまだ勉強したいんだろ。俺も今仕事が面白くなってきている。お互い自分の世界を持ちながら、必要なときにはこうして会えばいい。二人でいるときは相手だけのことを見てね。」
そんな穏やかな優しさに、いつもなら癒されるはずなのに、彼の肩に寄りかかりながら心の奥深いところが不安で震えていることに気がつく。

彼、山村孝則とは、私の働いている美容室へ材料を納めに来る営業の仕事をしていたことで知り合った。
まだ美容師の資格も持たない下積みの頃からうちの店に出入りしていた彼に、私は随分慰められたり励まされたりしたものだった。
「由起子はなんでも顔に出し過ぎるから、気をつけろ。調子のいい時とそうでない時が分かりやす過ぎるよ。人間相手の商売なんだから、どんな時も笑顔ができるようにならないとな。」とよく言われた。
孝則は仕事柄、この業界のことをよく知っていたから、私のよき理解者だった。福岡に転勤になるまで、私は彼に支えられていた。


posted by 佐恵子 at 23:48| Comment(2) | TrackBack(0) | いつか夜の雨が | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月03日

いつか夜の雨が 2

電車を降りて、雨が降っているといつの間にかあの車を探している。
あの雨の日の夜から1週間が過ぎていた。どうせ、暇つぶしの遊びだったんだろうけど。
私には、今は離れていて月に一度くらいしか会えなくなってしまったけれど、恋人がいる。彼に会えるその日のために、つらい日常も、淋しい夜も、なんとかやり過ごしていける。それなのに、あいつのにやりとした、やんちゃな笑顔がときどきちらついていた。

「お帰り」足早に家路に向かう私の横に、見覚えのある車。雨も降っていないのに。
「今日は誰にすっぽかされたの。」足を止めずに答える。
「君を待っていたんだよ。これから、飯でもどう。」あんまり急で、答えに困っていると
「うまいステーキ食べに行こうよ。その後はちゃんと送るから。」
「あなたじゃなくて、ステーキにひっかけられようかな。」軽はずみだと思いながら、車に乗ってしまった。あの笑顔をもう一度見たかった。
車の中では、その頃人気があったクィーンの音楽が流れていた。

海の見える丘にあるというステーキハウスまでは、車で40分くらいだっただろうか。お互いの名前も知らなかったから、初めてまともに自分の話をした。
「俺、佐伯正剛。25歳。消防士やってる。今日は休みだったけど、今ぼやがでているよ。」
「どこで」
「俺のなかでだ。」
「そう、大火事にならなければいいけど。」わざとさらりと言ってみた。
「なりそうなんだよ、それが。」真面目な顔で言うから、思わず吹きだしててしまった。こんなふうに笑ったのは久しぶりなような気がする。
「私、小島由起子。22歳。美容師なのよ。遠距離恋愛してる、恋人がいるわ。」
「そうか、今夜は由起子をそいつから借りているわけだ。まあいいだろ、由起子もステーキにのってくれたんだから。」
「実はおなかぺこぺこなのよ。美容の仕事って結構肉体労働なのよ。」
「由起子は脱いだらなかなかのマッチョだったりしてね。怖いなあ。でも、怖いもの見たさというのもある。」
「そんなこと、、、。」とまた二人で笑った。
危なっかしい正剛との会話が新鮮で楽しい。

暮れかかる町並みを通り過ぎると、朱色の橋を渡り島へ着いた。島の小高い丘に、そのステーキハウスはあった。
黒っぽい木のテーブルにはそれぞれ鉄板があり、お客の目の前で肉を焼いてくれる。
ビールをグラスに一杯だけ注文して、二人で乾杯。焼きたてのステーキは、口のなかでとろけそう。
正剛の飲み方も食べ方も、気取りがなくて何でも美味しそうで、以外に上品だった。
「なに面白そうに見てんだよ。」と言うから、「美味しそうにむさぼるわりには下品じゃないなと思って。」
「それ、誉め言葉ととっていいのか。でも、ここのステーキは本当にうまいだろ。また、付き合えよ。」

「ねえ、仕事の話してよ。消防士って、大変。でも火事が起きない時は暇なんでしょ。」
「休日は多いけど、仕事は24時間勤務だからな。いつもは訓練ばかりしているよ。まあ、体を動かすことが好きだし、高い場所も嫌いじゃないから。」
「美容師はどうなんだ。楽しいのか。」
「好きで始めたことだから、つらいことも乗り越えられたのかな。でもね、お客のわがままに付き合うのに心も体も、ぼろぼろになることもある。働き始めて3年になるけど、まだまだ勉強することばかりよ。」
「ぼろぼろになったとき、また、会いたいよ。」
「私そんなに軽くないから、また付き合えるかどうかわからないけど。それに、あなたが思うほどいい女でもない。後ろ姿だけが良かったんでしょ。」
「後姿にその人の真実が見えるんだよ。前は、取り繕ったり、かっこつけたりできるだろ。後ろがいい女は前もいいんだよ。」
「それ、これまでの数多い経験からの話しなの。」
「数少ない経験からだよ。」
正剛と話しているといつも最後は笑ってしまう。
posted by 佐恵子 at 21:32| Comment(4) | TrackBack(0) | いつか夜の雨が | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月26日

いつか夜の雨が

駅を降りると、待っていたかのようにバラバラと大粒の雨が降り始めた。家までは歩いて12、3分。
傘はないし、タクシーは長い列だし、迎えに来てくれる人もいないし、走って帰ろうと駆け出した。
花屋の軒で息を切らして少し休んでいると、私の脇へスーと黒っぽい車が止まり窓から顔をのぞけた男が「送りましょうか、家まで。」と言う。
「いいえ、大丈夫。」と少し困った私。
「友だちを迎えに来たんだけど、今の電車じゃなかったようで。次の電車が来るまでに帰ってくればいいから。」その言葉と、野生的な容姿に少し魅かれて、「それじゃあ。」と助手席に乗り込んでしまった。本当は少し怖い。でも立ちっぱなしの仕事で、もうくたくただったから。

「家はすぐ近くなんです。」
「髪、濡れていますよ。このタオル使ってください。」気がつくとブラウスも肌に張り付いて、スカートもびしょ濡れ。
「シート濡らしてしまって、すいません。あっ、そこの角、右に曲がってください。」
「仕事の帰りですか。」
「ええ。あっ、その看板の前でいいです。ありがとう。」タオルを返そうとしたら、手をつかまれた。
「少し、話しをしてくれませんか。まだ、次の電車は来てませんから。何も悪いことしませんから怖がらないで。
雨に濡れながら走るあなたの後姿が良かった。顔を見たくなって、声をかけてしまいました。」
「顔は、どうでしたか。」
「想像したよりも、幼かった。でも、かわいいよ。」
「ありがとう。あなたのお友だちも、女性でしょ。」
「いや、残念だけど男だよ。学生時代の同級生で、今夜会う約束なんだ。今日は仕事が休みだったんでね。」
「私はなんだか今日仕事がうまくいかなくて、お客さんに文句ばかり言われて、やっと駅に着いたと思えば大雨だし、ついてない日だった。いつもなら知らない人の車なんかに乗ることなんてないのよ。」
「ついてない日でよかった。君をひっかけることができたから、俺にとってはついている日だ。」にやりとした時の口元がやんちゃでドキッとさせられた。
「もう帰らなくちゃ。母がご飯作って待っているから。」と、ドアを開けようとしたとき、今度は膝をつかまれた。
「また、迎えに行くかも。雨が降っていなくても。今度飯付き合ってよ。」
「強引すぎる人は怖いわ。でも今日はありがとう。」と言いながら心臓の音が聞こえるんじゃないかと心配する。
家へ帰って鏡を見たら顔が赤くなっていた。
しばらくつかまれた膝の感触が忘れられない。名前も聞かなかったのに。
posted by 佐恵子 at 22:33| Comment(4) | TrackBack(0) | いつか夜の雨が | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする